言葉も習慣も違う海外生活では、日本にいた時には出来て当たり前のことが出来なくて、自分がとてつもなく情けなく感じることがあるかもしれません。
特に、大人になってから海外に来た方にとっては、小さな子供ですら出来るようなこと、例えばアイスクリームの注文ですら四苦八苦してしまうこともあって、ますます落ち込んでしまう時もあるのではないでしょうか?
「大の大人がこんなことも出来ないのか‥」と思い、些細な事が出来ない自分のダメさ加減にウンザリ。
これが繰り返されると、どんどんアリ地獄に吸い込まれるように、ネガティブな方へネガティブな方へと気持ちが吸い込まれて行きます(経験者がここにいます。)
そこでこの記事では、そんな自分のダメさを憂慮して落ち込んでしまった方に向けて、”Radical Acceptance” (ラジカル・アクセプタンス)の著者タラ・ブラク心理学博士が提案する『辛い心境から抜け出すための気持ちの切り替え方』を紹介したいと思います。
落ち込んだ時の負のスパイラルの仕組み
そもそも人間の考え方は本能的に、物事をより悪い方へと考えていく傾向があるそうです。それは人間が進化の過程で培ってきた、危険を回避するためのサバイバル能力によるもの。
社会心理学の研究では、人は「自分が他者からどう思われているのか」に強く意識を向ける性質があることが指摘されています。そのため、失敗をしてダメな自分を見せてしまったと感じた場合、人はそれを隠すために「良い自分像」を取り戻せるような行動に励むそう。つまり、物事を悪い方悪い方へと考えながら、同時にますます「良い自分像」を作ろうとプレッシャーを掛けてしまうのです。
慣れない海外生活からの失敗や恥ずかしい思いは避けられないもの。周囲も同じような人達ならまだしも、その生活に慣れている現地の人の中にポツンと自分だけがその文化や環境の初心者としているのですから、周囲と比較して尚更自分の失敗が強調されてしまうような場合も多いでしょう。
現地の人と対等に関われるには時間が掛かります。そんな状況で「良い自分像」を作ろうと周囲との比較に励んでも、どんどん自分のダメさが目立ってしまう。それが負のスパイラルの原因であり、自身を更に落ち込ませてしまう要因でもあります。
失敗してしまった時の自分も、上手くいった時の自分も、全部自分自身の姿
冒頭で紹介したブラク博士は、ラジカル・アクセプタンス=radical acceptanceの重要性を強く提唱する人物。
ラジカル・アクセプタンスとは、良いことも悪いことも嫌な感情も経験も全て含めた『自分』という存在を優しく丸ごと受け入れる事。
そんな彼女は、ネガティブな感情のスパイラルに嵌ってしまった人に向けてこのような質問を投げかけます。
”I feel bad” (上手くいってないな、と感じる)ことを”I am bad” (わたしが悪い)に変換してはいないか?と。
それは、自分が経験していることは”I am bad”という自己嫌悪感や自己否定感なのではなく、 物事が上手く行かなかった時(嫌なことがあった時)に湧き上がる『ごく当たり前の人間の感情』なのではないか?という疑問を意味しています。
頑張ったけど力足らずで上手く乗り越えられなかった自分の残念な姿もあった。でも、そこに到るまでに経験した辛い出来事やそれによりネガティブな気持ちを抱える自分の葛藤はリアルであり、それを優しくそのまま受け止めることが出来たとしたら、もしかして違う視点から『嫌な気持ち”I feel bad” 経験』を見ることができるのではないか?その『可能性』に注視してみてはどうか、と博士は指摘します。
落ち込んだ心を解放する方法とは?
人間は自分の信じる『考え方』に行動を大きく左右されながら生き方を形成します。しかし社会からどう見られるかを大きく意識してしまう人間の考え方は、実は社会が求める常識や理想、意見が作り出している幻想をなぞっている場合がとても多いのです。
それはつまり、海外生活で感じやすい「ダメな自分」という考え方は、異文化で多くの挫折を経験中の自分が「社会に馴染めていない」ことを基準に作り上げた幻想かもしれないということです。
これを解くにはどうすればいいのか。
幻想の奥の奥、自分の本質を知るために、この5つの質問を自身に投げかけてみて下さい。紙に書き出してみるのもいいかもしれません(「ダメな自分」の代わりに、カッコの部分をご自身の言葉に当てはめてみてください):
⒈ 「ダメな自分」って思っているけれど、わたしはそれの何を信じているのだろうか?
これは誰の意見なのだろうか?
そう信じてしまっている根拠はあるのですか?
⒉ 「ダメな自分」と信じていることは真実なのだろうか?
リアルに感じるけれど、もしかしたらそう思っていることが真実でない可能性はないだろうか?
⒊「ダメな自分」と信じるリアリティと一緒に生きていくってどういうことだろうか?
本当にそれを信じ続けたいですか?
心や体は、その考え対してどんな反応を示しているだろうか?
⒋ わたしはこの「ダメな自分」と思ってしまうネガティブな気持ちから癒されるために今現在何を必要としているのだろうか?
自分の心の底から本当に必要としているものは何なのだろうか?
どうやって自分を労ってあげられるだろうか?
⒌ もし「ダメな自分」でなかったら、わたしの人生はどうなるだろうか?
本当はどんな自分になりたいだろうか?
どうしたら、本当になりたい自分になれるだろうか?
ブラク博士は、上記の5つの質問について、一度では変わらないかもしれないけれど同じ質問を何度も自分に問い続けることによって、自身に対するネガティブな固定概念や自己嫌悪感が少しずつ変わっていくのを感じられるようになってくる、と話しています。そして、自分の能力やリアクションを素の状態のまま受け入れられたら「こうあるべき」姿から自分を自由に解放してやることも出来るようになってくる、と。
慣れた思考パターンを変えるのには努力が必要
人は変化を嫌うという。それは、予測が出来ない事に対して恐怖を覚えるからだと言われています。そのため、今まで信じてきた考え方や思考パターンを変えて行くことは容易ではなく、たとえそれが自分を苦しめるような思考パターンだったとしても、なかなか変えることが出来ないのです。
そしてそれは、「自分は何をやってもダメだ」という思い込みが、確実に自身を追い詰めてしまう要素でありながら、意識しないと変えられない手強いものであることを意味します。
だからこそ、物事が上手く行かなかった時の自分のダメなところや力の至らなさ等、自分の体験や気持ちを全て出来るだけありのまま振り返ってみること、そして自身の心の奥底に本当の自分は何を求めているのかを問いかけ続ける努力が必要なのです。
ありのままの自分を直視するのは意外と難しい、けれど不可能ではない
わたしも、物事が上手く行かずことごとく失敗しては周囲と比較し挫折、自分をダメ人間だと追い込んでいた時期があります。失敗を重ねるうちに「どうせ何をやってもダメだ」と意固地にもなっていました。しかし、それはある意味、自分の能力(語学や知識、社交性、文化への適応等)の足りなさに向き合わないで済むように、わたしのプライドがさせていた現実否定であり、簡易な問題回避法だったことに気づいたのです。
自分のプライドが傷ついているのを認め、現状の自分の能力や足りない点を直視することで、徐々に自分の葛藤を素直に受け入れられるようになりました。そして、その理解があることで失敗にも寛容になり、自分を許すことも出来るようになりました。今では自分に掛けていた大きなプレッシャーも、他人との比較をすることも、減っていったように思います。
自分像(セルフコンセプト)がガラリと変わってしまう海外生活、その中で経験する異文化変容は思っているよりもストレスフルなものです。だからこそ皆さんも、ありのままの自分に究極に寛容になる事=ラジカル・アクセプタンスを心掛けてみませんか?
長くなりましたが、お読みいただきありがとうございます。この記事が誰かのお役に立てたら嬉しいです。
クロスカルチャーコンサルタント・BUNKAIWAのヤスでした。
関連記事:
参照文献:
Tara Brach (2012). Radical acceptance: Embracing your life with the heart of Buddha. Audible.
日本語版が出ることを期待の、本記事で紹介したタラ・ブラク博士のラジカル・アクセプタンスが解説されている本。博士がラジカル・アクセプタンスに注目するきっかけになった実体験の紹介から、博士が実際に担当クライアントの癒しの過程にラジカルアクセプタンスをどう組み込んでいるのか、本書を通じコンセプトやその使い方がより深く具体的に理解できるようになります。
日本語版がついに出たようです!!
ラディカル・アクセプタンスーネガティブな感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる
Tara Brach (2017). Tara Brach on Real But Not True: Feeling Ourselves from Harmful Beliefs. YouTube.→(Video)
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