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海外で感じる多様性との付き合い方―インターセクショナリティとポジショナリティという視点から

  • 執筆者の写真: ヤス@BUNKAIWA
    ヤス@BUNKAIWA
  • 5月22日
  • 読了時間: 5分

海外で生活していると、自国にいるとき以上に自分が「〇〇人」だということを思い知らされる場面があるでしょう。


そんな中で、人種や社会的立場、境遇が大きく違う人たちと話すときに、なんとも言えない不満足感を感じることはとても自然なことです。


現在、多様性をめぐる様々な議論において、「多様性」の扱われ方に乱雑さを指摘する声も上がっています。そのような意見が出ること自体、「多様性」という概念への向き合い方に、多くの人が迷い戸惑っていることを示しているでしょう。


この記事では、自分と立場や境遇の違う方と出会ったときに参考になるかもしれない、二つの考え方を紹介してみたいと思います。



グループカルチャーの中の自分

白人の多いアメリカの心理学関連の集まりでは、アジア人は私一人、という場面は珍しくありません。


そのような状況で人種問題についてのトピックが語られる場面では、私はとても困惑することが多かったのです。なぜなら、アメリカで話される人種問題の文脈は、アフリカ系アメリカ人に関連するものが多く、自由意志で移住した移民である自分や、アジア系移民の経験が、その文脈にいまいち当てはまりきらない場面があったからです。カナダやオーストラリアの文脈が加わると、そこには先住民と侵略者という構図もより明確に浮かび上がります。


また、アジア系の人との集まりになると、今度は日本人である自分が、植民地支配をした側、加害者側の立場として見られることもあります。


さまざまな文化背景と文脈を持つ人たちが集まる場面で人種差別(レイシズム)について話すとき、自分の経験を結局伝えきれない、というもどかしさを、何度も経験してきました。



インターセクショナリティ――複数のアイデンティティが交差する場所

「多様性」と言ったとき、それは誰を指すのでしょうか。「白人」「黒人」「アジア人」「女性」「男性」「性的マイノリティ」「自国民」「移民」など、さまざまなカテゴリが浮かんでくるでしょう。


しかしながら、カテゴリが存在するからこそ、逆に見落とされる側面も生まれます。

「あなたはアジア人だから」と言われたとしても、自分の経験が他のアジア人と同じとは限りません。自分の性的指向、これまでの境遇、今置かれている立場まで含めると、それは誰とも同じではない、固有のものになっていきます。


この「複数のアイデンティティが交差することで生まれる、複合的な経験や抑圧」に注目した考え方が、インターセクショナリティです。人はひとつのカテゴリだけで語れるものではなく、さまざまな要素が重なり合って、その人の経験が形作られている、という視点です。


ただ、実際の場面では、この概念が「誰がより抑圧されているか」という比較や序列の議論になってしまうことがあります。記事の冒頭で触れた「アジア人は黙らなければならない雰囲気」は、まさにその一例です。抑圧の経験を理解するための概念が、いつの間にか「抑圧の我慢比べ」になってしまう。そこに、インターセクショナリティの難しさがあります。



ポジショナリティ――自分はどこから何を見ているのか

では、その難しさをどう乗り越えればいいのでしょうか。そこで参考になるのが、ポジショナリティという視点です。


ポジショナリティとは、自分の社会的な立場、文化的背景、経験が、物事の見方や感じ方にどう影響しているかを意識的に捉えることです。「誰がより大変か」という比較ではなく、「私はこういう立場からこの問題を見ている」という自己理解の視点です。


同時に、相手がどのような社会的立場にいて、自分とどう違うのかを見せてくれる考え方でもあります。それが、「相手はなぜそのような考えに至るのか」という共感のはじまりになっていきます。


インターセクショナリティが「人は複雑な存在である」という認識だとすれば、ポジショナリティはその複雑さを比較ではなく対話の入口として使うための視点、と言えるかもしれません。



さいごに

さまざまな要素が絡み合う中で、自分の立ち位置と相手の立ち位置がうまく理解されないまま話が進んでいくことがあります。そのズレをどう説明すればいいのかわからないまま、「自分だって大変だったのに」「あなただって得しているじゃないか」という、理解されない苦しさからくる感情が生まれます。そこに、多様性の難しさがあるのだと思います。


多様性とは、違いを並べることではなく、違いの背景にある経験や立場を理解しようとするプロセスだと思います。


インターセクショナリティは、自分や相手が単純なカテゴリに収まらない複雑な存在であることを思い出させてくれます。そしてポジショナリティは、「私はどこから、何を見ているのか」を問い直す視点を与えてくれます。


では、実際の場面でどう活かせるでしょうか。たとえば、意見の食い違いを感じたとき、「なぜ相手はそう感じるのか」と一歩立ち止まってみること。自分が話しすぎていると感じたとき、「自分はどういう立場からこれを話しているのか」と自分のポジショナリティを意識してみること。そういった小さな問いかけが、対話の質を変えていくきっかけになると思います。


完全に理解し合うことは難しくても、自分の立ち位置を意識しながら相手の話に耳を傾けること。それが、多様性と誠実に向き合うための、一つの入口になるのではないでしょうか。


この記事が、多様性を扱うことの難しさへの、一つのヒントになれば幸いです。



BUNKAIWA



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