AIは鏡か、それとも正当化の道具か——AI時代に「心理カウンセリングはなくならない」と思う理由
- ヤス@BUNKAIWA

- 3月29日
- 読了時間: 4分

パーソナルコンシェルジュのような役割で、AIが日常的に使われるようになったここ数年。私自身も含め、多くの人がAIを使うことが当たり前の時代になりました。
AIが浸透することで、人による心理カウンセリングはいらなくなるのではないか、と話す人がいる一方で、対人の心理カウンセリングはなくならないだろうと考える人もいます。私もその後者の一人ですが、その理由をうまく言語化できずにいました。
ある出来事をきっかけに、その違いについて考えるようになりました。
AIの使い方に感じた違和感
ある日、夫がとてもストレスフルなメールのやり取りをしている日がありました。彼は、AIを使って、自分の言い方がどう受け取られるかを確認しながらメールを送り、相手もまたAIを利用したであろう言い回しで返信をしてくる、というやり取りが続いていたようでした。ただ、その返信は、正直なぜそんな意見になるのか、理解に迷うような内容で驚いてしまったのです。
その時思ったのです。
同じAIを使っているのに、全く異なる方向に議論が向いている。全く通じ合えていない。それはなぜなんだろう。
そう思ったとき、私は少し怖くもなりました。もしかすると、私自身も、自分に都合のいい現実をAIに補強させているだけなのではないか、と。
そう思うところから、AIのカウンセリング利用について言語化できなかったトピックが浮かび上がってきたのです。
何がそんなに通じ合えないのか。
ストレスフルなメール相手の言動。それは、相手の考慮や現実的な仕組みを無視し、自分の都合や主張のみを強調した、とても一方的なものでした。そこに私は、現実をそのまま受け取らずに、自分にとって都合の良い解釈に当てはめてしまうような、認知の偏りを感じました。それは、夫の「話し合おう」というスタンスを受け取らないものであり、理解に苦しむものでした。メール相手のメッセージには、AIによる裏付けと、強気な言い回しが散りばめられていました。そこから見えてきたのは、自分の前提を疑わず、AIに裏付けを求めて正当化していく一方的な使い方でした。
正直、私自身がAIに気持ちの整理を手伝ってもらうときも、同じように現実を歪めてしまっているのではないか、と不安になりました。
しかし、自分のAIとの付き合い方を振り返ると、モヤモヤを言語化するための手段として使うことが多いことに気づきました。そこでは、自分の感情の背景を掘り下げたり、異なる視点を得たりするための、いわばメタ認知の補助装置としてAIを使っているのだと思います。
この二つの例を並べてみると、単なる「使い方の違い」では片付けられないものが見えてきます。
分かれ目になっているのは、自分の前提を揺らせるかどうか、そして、不確実なまま考え続けられるかという態度なのではないかと思うのです。
すでに自分の中に結論があり、それを補強するためにAIを使うとき、思考は閉じていきます。一方で、まだ分からないものとして扱い、視野を広げるためにAIを使うとき、思考は開かれていきます。
何が分かれ目になるのか
AIは、思考を整理し、広げてくれる存在です。しかし、私たちが社会の一員として生きている限り、他者との関係の中でしか立ち現れない違和感やズレ、そして不確実性に、至るところで直面します。
心理カウンセリングは、そうした不確実性を引き受けながら、他者との関わりの中で生まれる感情や誤解に丁寧に向き合う場です。
AIが「思考を整える装置」だとすれば、対人の心理支援は「現実と出会い続けるための場」と言えるのかもしれません。
AI時代における心理支援の役割
この「前提の違い」は、日常のやり取りに限らず、社会的立場や人種、民族背景の違いによる衝突の場面でも同じように現れます。頭では理解していても、自分の中にある判断基準や偏りは簡単には消えません。
だからこそ、「相手とぶつかってみないとわからない」不確実性があり、その中で揺らぎ続けること自体に意味があるのだと思います。
AIと人。どちらかが不要になるのではなく、それぞれ異なる役割を持ちながら、並行して存在していく。
私は、これからの心理支援は、その二つをどう行き来するかが問われていくのではないかと感じています。
皆さんは、この違いをどのように感じるでしょうか?
※本記事は同内容をnoteにも掲載しています。
BUNKAIWA


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