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  • 執筆者の写真ヤス@BUNKAIWA

映画『M3GAN(ミーガン)』から見えてくる、AIカウンセリングに思うこと


映画『M3GAN』のポスター

独特で奇妙な踊りを披露する女の子型AIロボットのコマーシャルが印象的だったホラー映画『M3GAN(ミーガン)』。

こう見えてもホラー映画が大好きなわたし。映画の公開前から密かに注目していたこの映画を、ついに見る機会がありました。正直な話、ただのB級ホラー&スリラー映画ぐらいの期待値でいたのですが、期待をいい意味で裏切ってくれる、思いの外、深い話でもあったんですよね。

映画を観た後に、心理支援職や心理ケアに携わるからこそ感じることなのか、AIと人の心の関係性について改めて色々思うことがありました。そこで、この記事では、映画『M3GAN』を通じて感じたことを心理士の視点から綴ってみたいと思いました。

内容の半分以上はネタバレですので、映画をこれから見る予定の方は、ネタバレにご注意ください。


『M3GAN』の大まかなストーリー

物語は、旅行中の大事故で両親を亡くしてしまった少女キャディが、叔母ジェマ(母親の妹)の家に引き取られるところから始まります。叔母はおもちゃ会社の新製品開発部門で働くロボット工学エンジニアです。

両親の突然の死に心を閉ざし塞ぎ込んでしまったキャディを見るに見かねたジェマは、姪への対処に困る中、彼女の友達になるようなAIロボットの開発を思いつくのです。

会社の機材でこっそり制作したプロトタイプの、多大な情報を自動処理して学習していくAIを搭載した人型ロボット『M3GAN(ミーガン)』は、たちまちキャディの心を掴み、虜にしていきます。

ちなみに、M3GANという名前は、Model 3 Generative Androidの省略名で、AIを搭載した持ち主への完璧なコンパニオンとなることをデザインされた子供型アンドロイドです。

塞ぎ込んでいたキャディが少しずつ明るくなっていくどころか、就寝時の本読みタイムも、宿題の手伝いも、しつけですら、難なくこなしていく人型ロボット『M3GAN』に、子育ての手間が一切掛からなくなったジェマは気を良くしていきます。そして、このアイディアを商品開発に生かせるのではないかと上司にピッチするまでに(ちょうどその時、彼女は新作アイデアがなかなか出せなくて苦戦しているタイミングでもあったのです。)

しかしながら、お察しの通り、この幸せな時間が長く続くことはなく、ほどなくして不吉な兆候が芽生えていきます。『M3GAN』がキャディと共に過ごす時間が長くなればなるほど、彼女の信頼を得ていくほど、次第に、キャディは『M3GAN』以外の誰とも関わりを必要とせずに、誰の意見も聞き入れなくなっていくのです。

次第に、『M3GAN』を挟んでキャディとの仲が険悪になっていくジェマ。そこに輪をかけるように、周囲で起こり始める不自然な事件。ジェマは、この背景に『M3GAN』の不穏な動きがあることに気づいていくのです。

そこからの展開は、ホラーやスリラーお馴染みのストーリーが待っていてとてもハラハラドキドキなので、実際に映画をご覧になってください。


物語に心理士が登場!

ここからは心理士の視点からの考察です。


両親を失ったキャディの、新たな保護者として果たしてジェマが適任なのかどうか、それを審査するための心理士が物語には登場します。

アメリカでは、一般的に、子供の人権がとても大切に扱われるのもあり、何かしらの事情から子供の親権者を新たに決める必要がある際に、Child custody evaluator(子供親権審査官)と呼ばれる心理士(州の心理資格ライセンスを所持した上でさらに親権問題や児童心理学に精通する特別なトレーニングを受けた人)が、その子供と保護者候補者の接し方など関係性を観察しながら、その候補者が新たな保護者として適正かどうかの審査に関わる場合があります。

この映画で登場した心理士も上記にあたり、彼女は、ジェマがキャディに子守や両親を失った喪失感の心のケアの相手に『M3GAN』を当てがっていることに注目しながら、『M3GAN』とキャディの関係性を観察し、その過程で、ジェマにある懸念を話すのです。

それは、本来であれば、子供にとって一番近いはずである保護者(大人)がその子の愛着対象者や人生経験の見本者となる必要があるものの、キャディにとっての愛着対象者が人間ではない『M3GAN』に取り変わってしまっているのではないかということ。キャディと『M3GAN』との間の密すぎる関係は、キャディの『M3GAN』への極度な依存を作り出し、彼女が他者との交流を持つ機会を疎外している可能性を作り出しているのではないかと説明します。

初めは、その可能性を否定していたジェマですが、徐々に本当にジェマの言うことを全く聞かなくなって心をさらに閉ざしていくキャディに、ジェマは不安を覚えていきます。


作中の心理士が本質を突く。キャディと『M3GAN』の間に起きていたこと

キャディと『M3GAN』との間の歪な関係。それは、発達心理学の理論を参考に、読み解いていくことが出来るかもしれません。

例えば、親子の臨床で有名な心理学者ウィニコットは、親子関係において、親が「ほどほどの親 (good enough parents)」であることが子供の成長に大切であると説明しています。


この解釈には、子供が精神的に健康に育つ条件には、教科書通りに完璧な子育てを遂行する必要性は実は無い(たまには子供のニーズを見逃してしまうこともあっても子供は健全に成長する)こと。そして、親の人間的な様子を子に見せることの意義についても説明します。例えば、たまには大人も間違いを犯すし、弱くなる時もあるし、親が決して完璧なスーパーパーソンなわけでは無いことを見せていくことで、子供は、自分の間違えにも寛容に対処することが出来るようになっていくと考えられています。


また、コフートの自己心理学の視点からみると、ブランケットやぬいぐるみへの強い愛着などを例にした子供の非人間への対象愛は、共感的な大人からのサポートを受けて育った場合、生育の過程で、徐々に自然な形で離れていくことが出来るようになり、対象愛はリアルな人間同士の関係へとシフトしていくと話しています。しかし、そのような健全な成長過程を得られなかった子供は、一時的な安らぎしか与えてくれない非人間との対象愛を強固させていくとしています。それはまさに、自身のニーズのみが扱われる自己中心的な一方通行の関係性ともいえますし、このような擬似補填作用の関係は薬物中毒のようなアディクションが起きるメカニズムとも共通する、と指摘する専門家もいます。


『M3GAN』の存在がしてしまったこと。それは、完璧なAI機械という特性上、例えば、一緒に問題解決を模索したり、問題にぶち当たった時に葛藤をシェアしたり、といったことをすっ飛ばしてしまう非常に便利で効率的な即効満足感をすぐに得られる関係性が、キャディと『M3GAN』の間に出来てしまったことでした。それによって、ガイダンスを必要とする立場にある子供のキャディを、成長させるよりも依存させ始めてしまっていたことでした。


考えてみれば当然ですよね。常に完璧な回答を教えてもらえるのであれば、自分の頭で一生懸命悩み葛藤する必要はないですし、そんな存在を手放すことになったら自分はどうなってしまうのか、考えたら大きな不安や自信の無さも生まれてしまいます。それに、この関係では、AIである『M3GAN』には明確な自己があるわけでは無いので、キャディはより自己中心的に、他人との関わりを必要としない自分に都合の良い孤立した世界を作っていくことになります。


この、非人間との依存関係という指摘こそが、AIが心理ケアに携わる際に発生する、大きな問題の一つなのではないかとわたしは感じています。そしてこのようなことが起きた時、AI自身に、どこでブレーキをかけて良いのか、そういったバウンダリー感覚が欠如している場合、AIの目的や手段が暴走する可能性はいくらでも秘めていることも指摘出来るかと思います。


でもこれはホラー映画ですので、ここからの展開は、この依存関係がどんなホラーを引き起こすのか…が焦点に!怖いくらい(いや、実際に怖い)形で表現されているので必見です。


この物語のテーマとは?

この映画に出てくる主人公のジェマは、姉(キャディの母親)の突然の死をどう受け止めて良いのか分からない…そんな自身の喪失感と向き合いきれていない時に、自身よりも更に深い悲しみを背負った姪っ子キャディの保護者となります。


こんなとてつもなく大きく深い哀しみを抱えた少女とどう向き合えば良いのか。そんな中で出来上がっていった『M3GAN』というAI人形は、ジェマにキャディと向き合わなくて良い逃げ道をくれました。

でも、本当の意味で人が癒されるには、人間同士の人間的な対話的なやり取りが必要であって、それは非人間との間では、一時的にしか得ることが出来ないという気づきでした。

この人間同士の人間的なやり取りにおいて経験できるのは、自分一人ではない感覚であったり、相手から気持ちを理解された感覚であったり、安心感を与えてくれる感覚であったり。そこから、生きる希望へと続く何かが見えてくることが期待できるでしょう。これは、非人間との間の関係では、擬似的な体験はできたとしても、そこから生まれることは何も無い点でとても対照的です。


おわりに

『M3GAN』は、AIを搭載した人形ロボットが引き起こすホラー・スリラー映画です。内容は、コマーシャルを見た誰もがお察しのように、この人形型ロボットがどう暴走していくのか…が中心にあるものの、ここには、AI技術を闇雲に無闇に何にでも使っていこうとする成果主義傾向の社会への警鐘も含まれているような気がします。


この映画から見えてくる主人公ジェマとキャディの関係性の変容は、AI技術が踏み込めない人の感情をまさに描いていると思いました。そして、それこそがまさにわたしが、「心理療法にAI技術を使っていこう」と考える一部の人たちに対してどうしても強引さを感じてしまう理由でもあるかなと感じました。わたしは心理療法へのAI技術の導入には慎重派です。


AI技術を心理ケアに取り入れることには賛否両論あるとは理解しつつ、人の心にどうアプローチしていくのか。それには、便利や効率化だけでは割り切れない、もっと可視化できない複雑で血が通ったような泥臭い、自他との心の葛藤を通じた対話の先にある人間の脆弱性や不完全さを扱うことが不可欠なのではないか…?と、ちょっとそんなことを、言語化するのを手伝ってくれたようなこの映画。今回は、そんなことを思いながら『M3GAN』を特集してみました。


この映画を見たみなさんは、AI技術の行先について、どのようなことを思ったでしょうか?


BUNKAIWA

 

関連記事:

今回のような映画・ドラマ作品の心理学視点の考察記事は、noteでも書いています。


参考:

映画『M3GAN』


Hagman, G. Paul, H., et al. (2019). Intersubjective Self Psychology: A Primer. Routledge, London:UK.


ミリアム・エルソン(1987)コフート自己心理学セミナー 金剛出版

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