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  • 執筆者の写真ヤス@BUNKAIWA

心理カウンセラーは自身の社会観・政治観とどう付き合って行けば良いのか‥



今まで心理カウンセラーとして活動してきて、国籍問わず様々な文化価値観や境遇を抱えるクライアントさんに出会う機会に恵まれました。

自分の偏見をどこまで削ってニュートラルになれるのか。

ということ以上に、自分自身が異文化出身者としてアメリカで生活しアメリカ人にカウンセリングを提供することに、そして日本のクライアントさんを海外在住者の視点からカウンセリングすることに、一体どのような相互インパクトがあるのか。これを強く意識しながら、カウンセリングスタイルを模索してきていました。

しかし、新型コロナウィルスのパンデミックが起こってからというもの、自身の持つ社会観・政治観というものが無視できないものとなってきているのを感じます。

そこでこの記事では、自身の社会観・政治観が心理カウンセリングにどう影響するのだろうか、自身を振り返り気づいたことを書き綴っていこうと思います。



最近の傾向として、政治事情がカウンセリングで話されることが多い

2020年を迎え、パンデミックを経て、アメリカも日本も社会は大きな混乱を経験しました。日米双方とも、政権が講じた対策に大きな矛盾があるなど、政治によって招かれた二重三重の混乱を社会全体が経験したように思います。

パンデミックのただでさえ不安な時期に、それのまとめ役であるはずの政治がしっかりした枠を作って守ってくれなかった。これが大きな不安となって多くの人の心を掻き乱しただけでなく、支持政党を理由に社会が二分してしまうような分断も起きています。

日本の場合は年功序列制やジェンダーステレオタイプが根強いのもあって世代間や男女ジェンダー間での意識の違いが顕著になり、アメリカの場合はトランプ政権がCDCの忠告を軽視したり人種差別的発言をしたことでコロナへの安全対策にばらつきが出たことや人種間の分裂が起きてしまったように思います。

これらはもともと社会に存在していた問題が根本にあったものの、コロナのパンデミックを機にこれ以上無視できない存在として浮き上がってきたと言えるでしょう。そして、多くの人々の間で強い怒りや恐怖、不安の感情が引き起こされているような感覚もあります。

今、カウンセリングでは、日米双方のクライアントさんから、政治の話が出てくることが今まで以上に増えているように感じます。そして、わたし自身の社会観・政治観も少なからず無視できないことを理解したのです。


自分の話

わたしはアメリカに移住してからというもの、アメリカの中でも人種や文化にとても寛容でリベラルなカリフォルニア州の、しかも都市部でしか生活をしたことがありません。

わたしの生活圏では、人種や性別、出身文化を理由に差別をされることはほぼ遭遇することは無く、人生の三分の一をこのような環境で過ごした自分には、これが当たり前の環境となっていました。わたしのクライアントさんも、移民や他文化に寛容であったり、文化的・性的マイノリティ者であったり、フェミニストやリベラルな方だったりが中心です。

正直、今、ニュースで流れる人種や出身、性別を理由にした差別煽動や配慮に欠く行動を良しとするグループの存在に、そして、それを許容しているリーダー達に大きな衝撃を受けている自分がいます。


親族の中にはリベラルどころかかなりの保守系の家族もいるため、彼らがなぜそうしているのか、何を基準にこのようなことが起きているのか。宗教観や教育環境、育った背景など、どんなことが影響し今のような状態が起こっているのか。ある程度の客観的な理解はあるものの、彼ら自身は決して悪い人たちではないとは分かっていながらも、どうしても今は憤りや絶望のようなものが湧いてきてしまうのです。


もし今、例えばマスク装着断固反対の方がわたしのもとにカウンセリングに来たとして(彼らが移民のセラピストを選ぶ事自体がまず少ないでしょうが)、自分はどこまでその人の気持ちに寄り添えるだろうか‥。


逆転移と呼ばれる、カウンセラーやセラピストがクライアントさんに対して起こしてしまう個人的な強い精神的反応や感情が引き起こされやすい今の状況を考えると、今の自分には彼らを担当する事は出来ないのではないかと感じるのです。


カウンセラーは万能ではない

カウンセラーになったばかりの頃は、「どんなクライアントさんでも診られる人が良いカウンセラーに違いない!」と思っていた時もありました。しかし、研修時代に十分と言って良いほど、自分に合う・合わないクライアント層や精神疾患タイプを痛い形で学んだのもあって(笑)それがとても浅はかな思い上がりのであったこと、また、様々なタイプの先輩や同僚カウンセラーと出会い、経験を積んでいくうちに、自分に出来ることの範囲、自分のアプローチやカウンセリングの特徴、向いているジャンル等がはっきりしてくるようになりました。


そして、やはり、性格的な部分の向き不向きなど、カウンセラーとクライアントさんの間には、相性とはどうしても存在するものだと感じます。

まして、コロナが起きてからというもの、カウンセラー自身も社会の一員、そしてコロナウィルスパンデミックを身を以て経験している一人の人間。この気持ちを無視して、カウンセリングをどんな人に対してもすべてニュートラルに行うことは果たして可能なのだろうか。共同体に生きる人間だからこそ感じて当たり前の感情を無視することは出来るのだろうかという疑問に直面しています。



カウンセラーも様々

たまにアダルトデイケア時代のスーパーバイザーや同僚とzoom会議をするのですが、今のパンデミックやアメリカの社会情勢の影響力はとても強く、クライアントさんの政治観や価値観が、同僚カウンセラー達にも大きな葛藤を与えているのを感じます。


例えば、白人のカウンセラーは、Black Lives Matter運動に反対するクライアント層からヘイトスピーチに近いような発言を聞くことが増えたと話していたり、ラティーノ系カウンセラーは、「今までの職場ではもう働けない」と職場を変えてしまったり(白人層クライアントが大部分を占めるクリニックで働いていたため。)


でも、それと同時に、直接の知り合いではない又聞きしたカウンセラーの中には、移民やマイノリティをよく思っていないなど差別的な対極の価値観を持った人も存在しており、最終的には、どんな人にも相性や価値観の合うカウンセラーやセラピストが存在しているのだろう、という不思議な腑に落ちた感覚を覚えたのでした。



異なる価値観が全て、多様性では片づけられない理由

ブログでも度々登場する多様性や異文化理解。この記事を読んで「でも、いつも異文化理解とか言ってるじゃないか、差別的価値観も許容しないのか」と思う方も中にはいるかもしれません。


しかし、今の社会情勢とそれによる価値観の相違を無視できない理由は、ある特定の価値観を促進することが誰かの安全と抑圧に関わることだからです。


文化は、同じ社会の一員、共同体で生活する人が共通の認識を持ち、協力し合い、生活を豊にするために築き上げてきたものです。中には、一部のものを抑圧することで成立している文化もあり、インターネットの発達を機に、それをもっと皆が受け入れられ共に生活しやすくなるために文化変容を提案する時期を迎えるはずだった思います。


しかし、日米双方、様々な問題が。


例えば、日本社会にある女性差別の問題。アメリカの相当自由度が高い場所で生活し、DV関連施設で働いていたことや、リベラルなアメリカ人を配偶者に持つわたしは、有識者が嫌悪感を覚えるようなジェンダー差別的発言やシステムを平然と語ることに、気持ちが掻き回される時があります。

*DV関連分野では、社会的マイノリティが一番の被害者になりやすい、または構造的差別の歴史も深く関わる病理が存在しているため、差別や偏見にとてもセンシティブなトレーニングを受けます。


そして今、アメリカ社会で起こっている人種差別運動の煽動や、コロナ感染を防ぐためのマスクを着用拒否することを個人の尊重とする動きは、共同体の一員であることを無視した、一部の人間の我儘・他者への無配慮や無尊重だとわたしは捉えています。


それに対する歩み寄りをどこまで出来るだろうか・したいだろうか、というのが最近のわたしの課題に感じています。

カウンセラーもいろいろ。クライアントさんもいろいろ。あまりまとまりのない記事ですが、心理カウンセリングの課題の新たな一面について、現在の社会情勢が気づかせてくれたことを書いてみました。みなさんはどう感じたでしょうか?



クロスカルチャーコンサルタント・BUNKAIWAのヤスでした。

 

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