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なぜ日本ではカウンセリングが“敷居が高い”と感じられるのか

  • 執筆者の写真: ヤス@BUNKAIWA
    ヤス@BUNKAIWA
  • 9月13日
  • 読了時間: 5分
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「カウンセリングに行くのは特別な人」

「なんだか信用できない」

「占いやスピリチュアルみたいでよく分からない」


こうした声を耳にすることは少なくありません。けれどカウンセリングは、本来もっと身近で、安心して利用できるサポートです。では、なぜ日本では“敷居が高い”と感じられてしまうのでしょうか。


アメリカでは、コロナ禍を機にメンタルヘルスの重要性が語られる機会が一気に増えました。その流れもあって、カウンセリングは「心を整えるツール」「自分の成長を促す機会」として捉えられています。むしろカウンセリングに通うことは「自分を大切にしている証」と考えられ、ポジティブに受け止められています。


私自身、長年アメリカで活動してきた経験があるため、日本に帰国した当初は、カウンセリングに対する認識の違いに大きな戸惑いを感じました。


そこでこの記事では、日米の認識の違いに焦点を当てながら、カウンセリングの“敷居が高い”と感じられる原因を探ってみたいと思います。



「病気かどうか」でしか見られない文化

「誰かに相談したいけれども、カウンセリングに行くほど深刻ではない」


こんな言葉をよく耳にします。ここには「カウンセリング=病気の人が行く場所」という思い込みが影響しているのではないでしょうか。


日本では長らく、心理士が医師の指示のもとで活動してきた歴史があります。そのため「診断がないと受けられないもの」「病気の人のためのもの」というイメージが根強く残っています。結果として、「健康な自分が行くのはおかしいのでは」「この程度で相談するのは大げさではないか」と躊躇してしまうのです。


また、精神疾患という言葉そのものにスティグマ(偏見)が伴うため、「診断されるのは嫌だ」と考え、扉を叩けない人も少なくありません。


しかし実際には、カウンセリングには予防的な側面も強く、日常のストレスや人間関係の悩みを話す場所としても機能しています。


そもそも、精神的な不調を、全て精神疾患かそうでないかの二極で説明することが、果たして本当にふさわしいのだろうか。人間生きていればいいこともあれば辛いこともある。足場の悪い場所を歩いていれば、いくら頑丈でも運動神経が良かったとしても、何かの拍子に怪我をすることは誰でもあります。


私は、精神的な不調やメンタルヘルスをそのように捉えていく視点も広がっていく必要があってもいいのではないかと思うのです。そして、その視点が広がることで、「病気かどうか」という境界線に縛られず、もっと自由にカウンセリングを活用できる社会へ近づけるのではないでしょうか。



スピリチュアルや占いとの混同

「話を聞いてくれる」

「心が軽くなる」


こうした体験の一部が、占いやスピリチュアルと似て見えることがあります。実際に、日本では“なんちゃってセラピスト”と呼ばれる資格不明瞭な活動も少なくなく、混乱を招いているのも事実です。


ただし、占いやスピリチュアルも人によっては、自己暗示的に働き、前向きな行動や自己成長につながることがあります。外部から与えられた言葉を自分なりに解釈し、新しい一歩を踏み出すきっかけになる、という点で一定の役割を果たしていると言えるでしょう。


一方、心理カウンセリングは心理学や臨床研究に基づく専門的な方法であり、効果や安全性を重視したプロセスです。大きな違いは、占いが“受け身的なきっかけ”であるのに対し、心理療法は自分の内側を探り、「自分の判断能力をどう信じるか」を育てていく“能動的なプロセス”であるという点です。


そのため、占いがリラクゼーションやマッサージに近いとすれば、心理療法は筋トレのように「自分の力を養う場」に近いと言えるでしょう。



敷居の高さ=「特別な人の場所」という思い込み

アメリカでは「もっとよく生きたい」「人間関係を整理したい」といった理由で気軽に利用する人が多くいます。経営者や専門職が自分のパフォーマンスを高める目的で活用することも珍しくありません。


一方で日本では、「深刻になってから行くもの」というイメージが強いため、利用までのハードルが高くなりがちです。「敷居が高い」という感覚は、まさにこの文化的な思い込みから生まれていると言えます。


実際、何かのガイダンスが欲しいとき、日本では占いの方がとっつきやすく、ビジネスの場ではコーチングの方が受け入れられやすい傾向があります。その結果、「カウンセリングは自分とは関係のない特別な人のもの」という印象が固定化されているのかもしれません。



まとめ

カウンセリングは「特別な人」だけのものではなく、「誰もが安心して利用できるサポート」です。健康診断のように予防的に利用することで、本来の意味を発揮します。


占いやスピリチュアルの体験も、前向きな行動のきっかけになることがありますが、心理療法はそれとは異なり、能動的に自分の内面と向き合い、判断力を育てていく場です。両者の役割の違いを理解することで、心のケアの意味や価値がよりクリアになります。


「心のケアは贅沢ではなく、日常の一部」


こうした考え方が広がることで、日本でも“敷居の高さ”は少しずつ下がり、もっと自然に利用できる社会が生まれていくのではないでしょうか。



BUNKAIWA

参考:

メアリー・ボイル&ルーシー・ジョンストン著


これまで精神疾患は「個人の問題」とされがちで、個人単位での治療が中心でした。しかし、近年の精神科療法は変化しつつあります。注目されているのは、個人が生きる社会的文脈やその影響力に着目する「社会モデル」によるマクロな治療アプローチです。本書では、精神疾患をどのように理解し、治療に活かすかをこの社会モデルの視点から解説。メンタルヘルスに対するスティグマを軽減し、より包括的な支援の可能性を示す内容になっています。


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