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  • 執筆者の写真ヤス@BUNKAIWA

心理セラピストのSV(スーパービジョン)の必要性を考えてみた



SV・スーパービジョンとは、心理支援職に携わる者が、先輩セラピストから心理療法に必要な技術や知識、その他支援職に携わることを教わる教習のことを指します。

アメリカにおける公認の心理セラピスト資格は、大学院を卒業後、資格取得の条件に少なくとも1年半のスーパービジョン期間を終了することが求められています(ちなみに大学院を卒業するまでにも1年ほどの研修期間を経る必要があります。)研修期間中は、スーパービジョンの受け方にも細かい条件があり、最低でも1年半の期間、毎週1時間の個人(または2時間以上のグループ)スーパービジョンを受けた者しか心理セラピストになれません(クライアントとの対面セッションを行う数に合わせて、スーパービジョンの必要時間数が変わってきます。)

しかしながら、日本の心理士の資格は、スーパービジョンを伴う1年以上の研修期間は必ずしも資格取得の際の必要条件にはなっておらず、場合によっては受けるか受けないかは個人に委ねられるオプション的な存在になっているようです。つまり、全くスーパービジョンを受けたことが無い人でも心理資格を取得することが出来てしまこともあるそうです。

この現状は、日本のメンタルヘルスにおける大きな課題の一つであるように感じます。

そこで、この記事では、心理セラピストへのスーパービジョンがなぜ必要なのかと、日本の心理資格システムへの批判的な指摘について、自分の意見を書いてみようと思いました。

尚、この記事は、心理支援職に携わる人に向けて書いている部分もあるため、少し専門用語が増えますことをご了承ください。


SV・スーパービジョンとは何か?

スーパービジョン(以下・SV)は大きく遡って約150年ほど前、ソーシャルワークの分野において、チャリティ団体のボランティア達をサポートするために始まったそうです(それ以前にも、教会団体によるSV形態に近いサポートシステムが存在していたことは記録に残っているそうです。)


はじめは、運営上に必要なタスクや任務をまとめることを目的としていたものの、ボランティア達のバーンアウトからくる離職率が高かったことから、徐々に教育的、サポート的要素を広げボランティア達の精神的ケアの役割も担う現在のスーパービジョンに近い形になっていったそうです。


アメリカにおける心理セラピストのスーパービジョンではおもに、上記に述べたように大きく分けて3つの狙いがあるとされています:


  1. 管理・事務責任的要素:任務や役割に対する責任や事務的作業に関する理解を深めることを目指す

  2. 教育的要素:臨床心理のテクニックや技術、具体的な相談内容に合わせたアプローチの方法についての知識を増やし支援者の経験値を上げることを目指す

  3. サポート的要素:支援者自身が任務・役割を果たす上で必要な自己管理能力を育むことを目指す

これらは、セラピスト全体が共通の責任能力や認識を持つことを可能にするだけでなく、スキルや知識、職場での働きやすさの向上にもつながる、業界全体の発展に大きく貢献するためにとても必然的なシステムです。


SVが心理セラピスト養成の絶対条件になっていないことの何が問題なのか?

対人支援の中でも特に心理療法は、マニュアル的に対応することがとても難しい仕事です。一人一人のクライアントが抱えている事情や症状、体質や傾向など何もかもが異なる上に、カウンセリングルームのその日の様子や、セラピスト自身の個人的な出来事など、さまざまな外的・内的要素が複雑に絡み合って、セラピーのセッションを行なっていきます。そのため、せめて最低でも新人のうちの1年は、SVを受ける必要があるのではないかとわたし個人的には感じます。

このような性質を持つ心理療法において、新人のセラピストが先輩セラピストから密にSVの指導を受けることが出来ないのには、このようなデメリットがあります。


⒈ 客観的に的確な判断を与えてくれる存在が足りなくなる。


SVは、実際に具体的な理論や技術を手取り足取り教わっていくというよりも、自分の盲点やバイアスになっている部分を指摘してもらったり、逆転移がどのように起こっているかを整理していったりすることで、セラピーの中で起きたことを客観的にみながら、心理療法と心的現象への理解を含めていくことを目的としています。


自分の盲点やバイアスになっている部分や、自分がどのような反応をクライアントに対して起こしているかを振り返る機会がほとんど無いまま経験を積んでしまうと、独りよがりになったり無理したセラピーを行ってしまう可能性も増えてしまいます。


ちなみに、グループセラピーの場合、他のセラピストのケースから、自分が担当していないクライアント層の状況や介入方法を学ぶことも出来るため、色んなセラピストのやり方やクライアントの話に触れることができたり、自分に合うアプローチやクライアントの相談内容などがはっきり分かってきたりと、さまざまな利点があるためとても素晴らしい訓練経験となります。


⒉ 仕事におけるバウンダリーを学びにくい。


支援職を選ぶ人の中には、「人のためになりたい」と自分よりも他人を優先しがちな傾向を持つ方も少なくありません。ただ、助けを必要とする人たちと深く関わっていくこの職業においては、この自己犠牲の精神はとても危険なものとなります。

自分が働きすぎていないか、どこからどこまでが自分の役職の責任範囲なのか、最低限何ができていれば十分なケアと言えるのか…。これらのことは、実際に、先輩から具体的に学んでいくことでしか理解できない場合もあります。基準がはっきり分からないと、自分のしていることが十分なのか疑心暗鬼になっていくことも。その結果、無理しすぎてバーンアウトを起こしてしまったり、多量の本やセミナーに過剰なほどのめり込んでしまったりする可能性もあるかもしれません。



⒊ 不安を受け止めてくれる受け皿が無い。


自身の経験上、SV無しでセラピストの経験を積むことは正直不可能だっただろうと感じているくらいわたしはSVにサポートをしてもらった自覚があります。他人の人生に介入するのは責任のあること。そこには大きな不安や恐怖、何かあった時にどうすれば?これでいいのだろうか、という自身に感じる慢性的な不足感も。そう思いながら一人で支援を学ぶのは酷過ぎます。


また、日米問わず公的な資格を持つ心理職従事者には、児童虐待などの第三者による介入が必要な状況への通報義務があります。これらの通報の判断には、明らかなものだけではなく、グレーゾーンなものも多いのです。いくら紙面上に明確な法律・倫理規定は明記されてあったとしても「倫理的にこれは…どうなの?」と思うような微妙な境界にある事例は日常茶飯事で遭遇します。そんな時に、状況を順を追ってしっかり相談しあえる先輩がいるのといないのとでは大違いですし、このような難しい状況へのサポートの有無が、心理士のバーンアウト率やクライアントのケアの質にも影響してきます。



⒋ クライアントケアを補償する土台が無くなってしまう。


アメリカや欧米諸国の多くがSVを必修項目にして心理セラピスト研修生に科しているのには、クライアント保護の側面もあります。なぜなら、研修生の行う実務への全ての責任は、SVを行うスーパーバイザーの資格・ライセンスに紐付けされて連帯責任になるからです。そのため、SVがあることで遠隔的にでも先輩セラピスト(スーパーバイザー)がクライアントのケアに介入できるため、新米セラピストもクライアントもお互い安心してセッションを行う土台ができています。


SVという心理士の不安を受け止める受け皿があることは、絶対にこの職業には必要なことだと思います。「隣の人に酸素マスクをつけてあげる前にまずは自分に」という飛行機の緊急事態時の案内は、心のケアにも当てはまります。心理セラピストなど心理対人支援に関わる人の不安へのケアがまず十分に満たされることが、クライアントの受け皿にも繋がっていくように思います。



日本の心理資格の設計者への批判

心理セラピストの育成になぜSVが必要なのかを書いてみて改めて、心理療法士育成の要であると言っても過言でないSVが教育・訓練に組み込まれていないことが引き起こしている心理士へのサポートの少なさ、その二次被害というのはとても大きいのではないかと感じます。

SVがオプションである限り、心理士育成のためのSVが業界全体のシステムとして強く確立していくことはとても難しくなってしまいますし、心理療法士を目指す個人に一方的に負担や責任がかかる、とても投げやりで無責任な教育・育成システムだと思います。そして、その延長線上にある利用者・クライアントのことはどこまで考えられているのか…。

心理資格団体や教育現場では、なぜSVの必要性を理解し心理士の育成プログラムに加えることを目指していかないのか、そもそも、なぜ日本の心理業界のベテラン達はSV無しの育成システムを良しとしデザインしたのか、それがわたしには疑問でなりません。今の育成システムは、真摯に仕事に取り組みたい心理士を困惑させ疲れさせ自己責任の負荷を与えているだけでなく、心理サービスの利用者にも一定基準の質や安心を補償することを難しくさせています。



アメリカ・カリフォルニア州の研修生事情

ちなみに、アメリカ・カリフォルニア州の場合、研修生を雇うこと=SVが必要、という共通認識が雇用主にあるため、研修生がSVを受けやすいシステムは整っている一方で、SVが必須な研修生時代は、報酬も低く、良質なSVを受けるために無償・むしろ個人がSV・(対面セッションを含む)研修代を支払いながら実務経験を積むことも少なくはありません。そして、それが低料金のカウンセリングサービスを提供できるクリニックの実現にも繋がっている現実もあります(低賃金での心理士の雇用に関しては、もちろん問題があるので、状況改善を目指す運動も起きています。)


ただ、その代わり、資格が取得できた暁には、独立したり就職先に困らないなどある程度の社会的安定が待っています。日本の心理職はその辺が全て一色汰になって資格による補償が担保されていない印象があり、それもまたバーンアウトを引き起こしやすい環境を作っているように思います。



最後に

アメリカ心理資格と日本の心理士資格との大きな違いの一つとして挙げられたSVの存在について、自分のアメリカでの経験を踏まえ、心理療法士の訓練にSVが必要な理由についてをまとめました。日米の資格双方に良さがあることは理解しながらも、日本でなかなかメンタルヘルスの理解が進まないのには、心理士自体へのサポート体制に、日米で大きな差があることも大きな理由であると感じています。そのため、この記事では、日本の資格取得までのシステム設計を作った者への批判で締めくくらせて頂こうと思います。


少しずつでも、日本の心理職者が働きやすく、クライアントが利用しやすいシステムの再構築が起こるための参考にと、アメリカの心理士事情の情報提供を続けていきたいと思います。

長くなりましたがお読みくださりありがとうございました。



心理セラピスト・吉澤やすの

 

参考:

Awais. Y.J.,& Bluesy. D. (2020). Foundations of art therapy supervision: creating common ground for supervised and supervisors. Routledge. New York: NY.

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