みなさんは、『性別』と聞いてどのようなことを思い浮かべますか?
女の子はスカートを履く…とか、
男の子はピンク色よりも青色が好き…とか、
生物学的な男性性、女性性などの違いはあるとして、我々の生活には、生物学的な違い以外にも、社会や文化が良しとする、その『性別』の者がするべきこと&するべきでないことがまるでルールのように存在しています。
バイナリー (binary) という二つに別けられた隔たりのある考え方。これが『男と女』のように『性別 (gender) 』に対して多くの人が見慣れた考え方かと思います。
現在、アメリカをはじめ様々な欧米諸国では、性別をノンバイナリー(non-binary)=区別や隔たりの無い存在として見ていこうとする考え方、そして、性別・ジェンダーを理解するのに、ジェンダーを二分する分け方ではなく、多角的な側面から見た概念を取り入れていこうという動きが認識され始めています。
でも、それは実際にどういうことなのか?この記事では、ノンバイナリーやジェンダーニュートラルなどをより深く理解するために知っておきたい視点、ジェンダーの概念についてを説明していきたいと思います。
性別を再定義する:ジェンダーの3つの側面とは
人は、生まれた時の持って生まれた生殖器から判断されて男性・女性・その他などの性別が与えられます。これは性別(英語で言うsexというカテゴリ)であり、子供が成長するにつれ培っていく性別観をジェンダー(gender)と呼んでいくそうです。
人間のジェンダーは、大きく分けて3つの側面に分けることができるそうです:
・身体の性別
自分の身体、身体を通じた体験、社会がどう自分の身体的性を捉えているのか、自分の身体が他人からどのように見られやり取りが行われるのかを基準にした性別。
・アイデンティティとしての性別
自分の内面的な性別について自身をどう捉えているのかを基準にした性別。ノンバイナリーが提案されるのは、このジェンダーアイデンティティの観点から。
・社会的な性別
社会が自分の身体的性別をどのように捉え、社会的システムや文化を形成しているのか。ジェンダーに求められる役割や期待などを基準にした性別。
そして、それぞれの側面は【男性・女性】と2分割にキッパリと分けられるものというよりも、どちらかというと、【男性的ーやや男性的ーどちらでもないーやや女性的ー女性的】というようなグラデーションのように広い範囲に連なっています。
この大きく分けて3つの側面が互いに影響を与えながら、各個人が自身のジェンダー観を形成し性自認が出来ているそうです。そして、この3つの側面が、本人にとって一致していると感じる、調和出来ていると感じられるほど、個人のジェンダーに対する心地よさは高くなることが指摘されています。
人の身体が成長と共に変わっていくのと同じように、これらの3つの側面は、個人が成長する中で、互いに関わり合いながら、様々な影響を与え合いながら、どんどん進化し変化を迎え、発展していきます。
生きる社会や文化によってジェンダー経験はさらに多岐に渡る
そして、この3つの側面を考える上で必要不可欠なのは、自分がどのような社会や文化、システムや家族の思想の元に生きているのか、ということ。
自分の生きてきた社会や文化が、男女のバイナリーがはっきりしていてそのジェンダー価値観を強く押し付けるところなのか、それとも、中立的なジェンダーニュートラルなシステムが出来上がっていて個人の価値観が尊重されるところなのか。はたまた、出会う人や彼らとの関わり方、親の価値観、人種、宗教、教育の種類など、それだけでも、自分自身のジェンダーに対する捉え方は大きく異なっていくでしょう。
それだけ、ジェンダーとは、パーソナル(個人的)なものだということ。
そのため、ジェンダーとは、従来のような「これだ!」といった確定的なカテゴリに人を当てはめる見方よりも、流動的な存在として、まるでグラデーションのような広範囲の色合いの中に個人に当てはまる個別の性別観が存在している…といった見方が相応しいのではないかと近年提案されることが増えました。それに合わせ最近では、個々のジェンダー観に、より近く当てはまるような、ノンバイナリー以外の多様な言葉も次々生まれています。
ジェンダーの適合 (gender congruence) について
自身に存在するジェンダーの3つの側面(身体・アイデンティティ・社会的な価値観)が一致しているほど、自分が自分らしく過ごせることに繋がります。しかし、それが実現できる社会は、この世の中にどれだけ存在しているのでしょうか。
様々な実体験を通じて個人が学び理解していくこと…例えば、
自分の身体に対して心地よさを感じられるか
自分のジェンダーを説明する時に、それが自分の内面のジェンダーと一致しているか
服装や仕草、興味のあることや活動を自分らしく表現が出来ているか
他人からの見られ方が自分自身の見方と同じであるか
これらの経験を経て、自身の性別の捉え方や在り方には百人百様の姿が生まれてくるということ。それはすなわち身体も心も社会的な見られ方も全て同じで違和感を全く感じない人もいれば、反対に、身体と心のジェンダーが違うことに困惑したり、自身の求めるものと違う見られ方を社会から向けられたりすることに大きな違和感を感じ葛藤し、苦しんでいる人もいるということです。実際に、トランスジェンダー(身体と心のジェンダーに大きな差異を感じる)の若者には、自殺率がとても高いことが指摘されています。
自身の社会や文化背景、育ってきた環境が自身のジェンダー観にどのような影響を与えているのか。それと同時に、自分自身は、自身をどのように表現し、社会と関わりながら、自分らしく生きていきたいのか。
これらを多角的に振り返っていくことを繰り返し、理解を深めジェンダーの調和を目指していくことが、自分が自分らしく生活を送れることへのヒントになります。
*ちなみに、この記事で紹介しているのは、個人のジェンダー観に関しての視点であり、性的オリエンテーションとは異なります。性的オリエンテーションに関してはまた別の記事で紹介予定です。
最近思ったこと
日米問わずカウンセリングで自己表現や自分らしさの再発見を求める方の中には、自分を受け入れていく過程で、社会や文化からくるジェンダー価値観の影響力に、大きな悩みと葛藤を抱えている方も多く見受けられます。
そんな中で、最近、日本の政治家が性的マイノリティ(LGBTQ+)の人たちの権利を認めないとする、非常に理解に乏しい、むしろ暴力的な発言を堂々とされている様子をニュースで目撃し、思わず頭を殴られたかのような感覚を覚えました。
というのも、わたしの見てきたカリフォルニア都市部での生活が日本のそれとは大きく異なるからです。
例えば、思春期が始まった頃の子達のカウンセリングをしていると、自分のジェンダー観に大きな悩みを持っている子達に出会うことは少なくありません。彼らの多くは、最近提案されたHe (彼) or She (彼女)でもない『They』という新たな代名詞に、大きな安心感と肯定感を感じ、自身にもっとしっくりくるニックネームをつけ、そこから自己探求を始めています。
また、アメリカの中でもサンフランシスコ・ロサンゼルスという非常に自由な土地柄にいたからか、自分のしたい服装やメイクアップを自由に楽しむジェンダーノンバイナリーの方達にも出会う機会がとても多いです。
しかし、そんな環境があるのは都市部の一部で、残念ながら性的マイノリティ、特にトランスジェンダーの方への理解は社会全体的にまだまだ足りません。しかし、自分のしたいこと、自分に当てはまる生き方が出来る環境やオプションが、少しずつ、でも確実に存在し、都市部から徐々に全国へとそれを許容しようと変化している社会がアメリカには存在するように思います。
LGBTQ+の理解を広めていくには…
発達障害やメンタルヘルス、文化変容のストレスなどへの考え方を発信してきたわたしのブログでは一貫するテーマとして、「人は誰もが違う」「違いがあることをどう互いに認め、理解し合えるか」を提案してきました。そして、従来の社会のシステムに於ける『当たり前』の生き方が、誰かにとっての当たり前では決してないこと、社会の『当たり前』を押し付ける風潮とその加害性を強く指摘する姿勢を貫いています。
しかし、実際に違う境遇の者同士が具体的な共存への方法を話あえるようになるには、まずその土壌に、議論が安心して出来る環境が整備されていることが必要です。
わたしは、今の日本には、性的マイノリティLGBTQ+のコミュニティに対する安心できる土壌自体が存在していないことに深く驚き、同時に、大きな憤りを感じています。昔ながらのジェンダー固定概念、むしろミソジニー、ホモソーシャルで排他的な社会を変えていくためには何ができるのか、その最初の一歩として、少しでも多くの情報をと思い、この記事を書いてみました。
これからも、様々な境遇、生き方、違いについて思うことを綴っていこうと思います。最後までお読みくださりありがとうございました。
クロスカルチャーコンサルタント・BUNKAIWAのヤスでした。
参考:
今回の記事は、こちらのウェブサイトの情報を参考にしました↓
セクシャルマイノリティについてを説明したホームページ(日本語)相談窓口もあります。
おすすめ書籍(英語):
Sissy: a coming-of-gender story
Jacob Tobia
以前にも紹介したことのあるこの本、残念ながら英語版しかまだ出版されていないのですが、とにかく面白い上に本人の文章力にびっくりな表現豊かな本。
本人はジェンダークィア(ノンバイナリー)のスタンスを持ち、一個人の体験してきた出来事や、自身のジェンダー観を確立していくまでの様子を社会のシステムや様々抱いてきた疑問への葛藤と共に率直に伝えたかったと説明しています。
性的マイノリティ研究をしている人が参考に出来る専門書としても、エンタメとして読みたい人にもおすすめの本です。
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