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  • 執筆者の写真ヤス@BUNKAIWA

まさか自分が人種差別者?自身が持つ偏見に向き合うことの必要さ


アメリカをはじめ海外の時事ニュースをみて「人種差別はありえない!!」と憤りを覚える人は多いのではないでしょうか?


最近は、映画『グリーンブック』や『ブラッククランズマン』などアメリカの人種差別の歴史がクローズアップされた映画が公開されたこともあり、より一層、人種差別は大反対!と思う方も多いでしょう。


日本人同士の家庭に生まれ他国出身者と関わる機会が少ない中で生活を送っていると、なかなか外国出身者に出会う機会は少ないのでは。外国人がいたら優しくするから自分は人種差別主義者ではない!と感じる人がほとんどだと思います。というよりも、人種について深く考える機会があまりない方も多いかもしれません。世界みんな平等!当たり前じゃん!わたしもそう思う一人でした。


しかし…


アメリカに住んで気づいた自身の人種偏見のこと

日本国外の様々な人種が混在する環境に身を置いてみて気づいたこと。それは「わたしってもしかして人種差別者?」という疑問。


例えば、アメリカでは、さまざまな人種・民族が混じり合って社会が形成されています。


にも関わらず、社会構造的に過去の人種差別蔓延時代からの名残や移民の移住背景や社会的立場によって、人種や民族の間には、貧富の差や待遇の差が不公平な状態で当たり前のように今でも存在しています。また、人種により就いている職業にも大きな違いがあり、更にはメディアやニュースからは常に良くも悪くも人種の偏ったイメージを植え付けられます。


そんな社会にどっぷり浸かっているうちに気づくのです。「わたしってもしかして人種に偏見を持っているかも!?」ということを。


アメリカでいろいろな人と関わりあううちに、今までぼんやりしていた人種を基準にした固定概念が、自分の中にはっきりあることに気づくようになりました。


例えば、街中で通り過ぎるだけでも、相手の人種や格好・民族衣装によって自分がすごく警戒体制になったり、ガードを緩めたり、意識が多少なりとも変化することを感じます。


自分の頭の中で起きているだけのことですが、広い意味で言ったら人種・民族差別、見た目で人を区別しているのです。


あるとき、この人種差別者疑惑の話を心理学者の友人に話したら、アメリカ人の彼女がこう言いました。


「みんながみんな良い人、で片付けられないのが今のアメリカの社会。自分の身を守るためには、人種による偏見が危険感知センサーの一つとして働くことが悪いわけではない。それは認識する、ただそれだけの行為。認識することと、差別を助長するための行動を取ることには大きな違いがあると思う。


この発言は、全くわたしが想像していた移民国家アメリカという国とはかけ離れたアメリカが存在していることを強烈に教えてくれました。


そして、そこで自分の身を守って生きるとはどういうことなのか、ということも。


側(はた)から見ていると「差別なんてとんでもない」で終わる話が、そうにはいかない現実社会もそこには存在していることに気づかされたのです。


人種・民族の話を抜きに異文化理解を語ることはできない

「人種に関すること」という少し込み入った内容の記事に、思わず気まずくなってしまった方もいるかと思います。上記に挙げたわたしの話からもわかるように、偏見はごく当たり前のように個人の意識の中に存在しており、また、残念ながら社会情勢や住んでいる環境によっては、偏見を無くすことによって自身の身の安全が危ぶまれる場合もあります。


しかし分かっているのは、異文化理解や国を跨いだ交流には人種や民族の話は避けて通ることができないということ。なぜならそれは文字通り、目の前に明らかに存在するものだから。相手の見た目に何かしらの認識を持つ、ということは、相手にとってもわたしがアジア人であり日本人である、という認識が心の片隅に絶対あるはず。それを無視しながら相手との対話を求めることは、目の前にいる大きな象を無視しながら話を進めるような違和感を持ち続けることを意味します。


目の前にいる象の存在を認識すること。それをして初めて相手との対等が実現します。


そのまず第一歩は、自分が自分の偏見に気づくこと。クロスカルチャー心理学でもセラピストがまず第一に、自分の持つ偏見に向き合うことからスタートします。


それは、誰もが偏見を持って生きているということを大前提にしているからです。


自分の持つ偏見に向き合うことの必要さ

いくら、グローバルで良識的で多人種に囲まれた環境で育てられたとしても、絶対に、何かしらの偏見やイメージを他の文化や人種の人に持つというのは当然のことなのです。


それよりもむしろ、相手と関わる時に、相手の人種や文化によって:

  • 自分がどういう態度を出してしまいがちか

  • 自分のどのような偏見が相手を理解する妨げになるのか

  • 相手をいかに中立的に見ることが出来るか

自分の持つ偏見が与える影響力を冷静に分析することの方が重要なのです。


そして、自分の慣れ親しんだ思想や考え方、社会背景など、相手を本当に理解する上で妨げになる価値観は存在していないかを知っておく必要があります。その上で、


まっさらな状態で相手の伝えてくることを丸ごと受け入れること。それが本当に相手を理解する姿勢です。


何よりも自分自身、日本人という偏見を持って見られがちのアメリカ生活において相手にされて一番ありがたかったのが、このスタンスでした。


異文化理解には、自身を理解することがまず不可欠です。そして、このような気まずいトピックに直面することがどこかで絶対に必要です。みなさんも、今一度、自分の偏見に向き合ってみませんか?



クロスカルチャーコンサルタント・BUNKAIWAのヤスでした。


 

参照文献:

Sue, D. W., & Sue, D. (2013). Counseling the culturally diverse: theory and practice. (6th ed). John Wiley & Son, Inc. Hoboken; NJ.


参照:






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