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高齢者が運転免許を手放すために周囲が出来ること:あまり語られない心のケアの話。



日本のニュースサイトをみていたら『高齢者が小さな子供とそのお母さんを巻き込んだ交通事故を起こしてしまった』というとても悲しい事件を目にしました。


コメント欄やその他関連ニュースで語られるのは、被害者に対するなんともやりきれない悲しさと加害者に対する怒り。


被害者の方とご家族、事件に巻き込まれた方には、とても悲しみが湧きます。被害者の方のご冥福をお祈りします。そして、ご家族の方の心の傷が癒されますように。


すべての情報があるわけではないので、わたしがこの事件について直接意見を述べることは控えさせていただきます。しかし、この「高齢者の運転」問題について、心理セラピストとして思うことがあり、わたしの臨床経験の話をここではさせて頂こうと思います。


車の免許を手放す、という意味

わたしはアメリカ・LAのアダルトデイケア施設で数年間、早期認知症者を対象にしたサポートグループをしていました。早期(初期)認知症とは、物忘れがあるものの、認知感覚の自覚症状がまだ少なく通常に生活できる範囲内の方です。症状が若いうちから出る人もいますが、主に65歳以上の方が経験することが多いとされています。


早期認知症に診断されたほぼだれもが一番最初に直面する大きな試練が、この「車の免許を手放す」ということ。


日本では都市によっては車がなくても生活が快適に出来るところがあるでしょう。しかし、アメリカ、しかもロサンゼルスは車が無いと、足をもがれたも同然、これから一生自分の生活はだれかに頼っていかないといけないことを意味します。


コンビニのような場所があまりないので、何か食べたくなったらスーパーに行きます。しかし、このスーパーが車で最低でも五分以上かかる。しかも街全体が車社会だから、一人で歩いて出かけようもんなら、とっても危険です。


ちょっとフラっと出かけたい、一人になりたいと思っても、常に家族やだれかに頼らないといけないのです。最近はウーバーのような運転サービスもありますが、毎度それを頼むのも大変。むしろ、細かいアプリの作業はややこしく使いこなせない方も多いです。


つまり「車の免許を手放す」というのは「独立を手放すこと」つまり今後一生「だれかに依存して生きていくこと」を意味しています。


アメリカはインディペンデント(個人独立主義)の世界。これは本人にとって、本当に辛いことなのです。


車の運転が自身のアイデンティティの一部

「家族の中で自分が車の運転が一番上手かった。」


運転に自信がある人ほど、車の免許を手放すことを渋ります。奥さんやケアギバーの運転に文句を言い、自分はまだまだ運転出来ると主張する人を何人も見てきました。


車の運転が上手いことが、自身のアイデンティティの一つだったのです。自分の得意だったことが奪われて、絶望感や怒りに満ち溢れる人もいます。とくに男性の場合、プライドが奪われ、恥、つまり面目を潰された気分になってしまう人も大変多いです。


また、認知症が進むと、自分の足腰の弱さや身体的能力の欠如を忘れてしまい、なぜ自分が運転することを周囲が止めようとするのか、理解ができない人もいます。


それぐらい、「運転する」という行為が自分の中に染み付いたこと、自分の一部なのです。


免許返納義務

アメリカ・カリフォルニア州では、70歳以上の方は、更新時に身体検査と運転技能テストを受けることになります。


しかし、医師が認知症と診断し運転が危険だと判断した場合や身体的に運転が不可能と判断した場合、DMVという運転免許を統括している機関に通報する義務があります。そして、本人の意思とは無関係に免許を放棄することを余儀なくされます。詳しくはこちらをご覧ください(英語です。)


また、本人が認知症の診断を受けていなかったとしても、認知・身体能力の衰えから危険な運転をしていると判断可能な場合は、周囲がDMVもしくはアダルトプロテクティブサービス(APS)に通報し、免許の停止を働きかけることができます。


わたしの働いていたデイケア施設では、家族も本人も免許放棄に乗り気でなかった利用者が、認知的に問題がある危険な運転をしながら施設に乗り付けたため、アダルトプロテクティブサービス(APS)に通報し、結果、本人は免許剥奪になったということが過去にあったそうです。


*アダルトプロテクティブサービスとは、65歳以上のシニアの方の安全を守るための行政サービスです。家族やケアギバーからの虐待が疑われる場合や、介護で苦しんでいる家庭にソーシャルワーカーを手配し、状況の改善を図る機関です。運転免許を剥奪する権限はありませんが、ソーシャルワーカーが関わることによりDMVへの伝達がスムーズになります。そして、心理セラピストを始め医師や法律家などライセンス・資格を持つ職業は、上記に該当するクライアントがいたら、この機関への報告義務があります。


高齢者の心のケア

周りから見ると明らかでも、本人にとっては「運転を放棄する選択」を決断することは容易なことではありません。


高齢になってくると、今まで出来ていたことが出来なくなる、という喪失を味わうことの連続です。そして、運転が出来なくなった瞬間、それは一気に現実感を増します。


家族もそれを分かっているから、本人から抵抗された場合、強く放棄を勧められないことが多いです。


しかし、だれもだれかを傷つけてまでも運転することに執着したくはないでしょう。ただ、「運転」という、何十年も生活を共にしてきた存在を簡単に放棄できるかといったら、頭では分かっているものの、放棄出来ない人がいても不思議ではないのです。


「運転が適さない自分」という現実を受け止めるには、リアリティチェック(現状理解)はもちろん必要ですが、運転を諦めるまでの心の葛藤や心の内を思う存分話して気持ちを整理する場所が必要です。そして、運転をしなくなった後の生活について、家族とどう連携していけば良いか考えていく必要があります。なぜなら、運転を簡単に放棄できない理由は、このような感情が複雑に絡み合っている場合が多いからです:

  • アイデンティティの喪失

  • プライドの喪失

  • 生きがいの喪失

  • 家族への申し訳なさや、家族に負担をかけることへの罪悪感

  • 自身の社会への存在意義がなくなったような気分、誰かの役に立てなくなる

  • 怒り

  • 悲しみ

  • 不安

  • ドライブの思い出が蘇ってくる


わたしの施設の例になりますが、このような心情を思う存分話すことができた人は、自身の決断で運転免許の返納を早い時期にされていました。そして、夫婦で出かける場所を増やしたりタクシーで今まで行ったこと無いエリアに行ってみたり、車を運転しないからこそ出来る新たな生活を楽しく過ごしていました。


このような運転免許放棄に関する心のケアは、早期の認知症者や認知症の症状が無い方にのみ可能なケアであり、一番本人が納得出来る、本人の意思を尊重した形の方法です。残念ながら、一度認知症が進んでしまった方には、周りの客観的な判断で強制的に運転を辞めさせるしか方法はありません。それは、本人にとっても、家族にとってもとても辛いことです。


そのために、高齢に差し掛かった方やその家族を対象にした、心理カウンセリングの普及が強く望まれます。そして、本人や家族が少しでも「何かがおかしい」と感じた時には、運転を辞めることを話し始めるべきだと思います。車は鉄の塊、スピードがあれば武器になります。



さいごに

この記事では、アメリカ・カリフォルニア州の例をとりましたが、日本の高齢者にも通じる部分があるかと思い、わたしの経験を書かせていただきました。


ここに書いた内容は、決して、最初に述べた高齢者運転事故の加害者の方を支持するものではありません。また、加害者の方がどのような健康状態で運転をされていたのか存じません。


この記事は、高齢者の運転による事故を防ぐために周囲が出来ることを心理セラピストの視点から意見させていただいたものです。


このような事件が今後二度と起きないよう、心理カウンセリングを含めた様々なサポートが日本の社会全体に充実していくよう願っています。



クロスカルチャーコンサルタント・BUNKAIWAのヤスでした。