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  • 執筆者の写真ヤス@BUNKAIWA

バリデーション (validation) の力。自分の経験を信じてくれる人のいる心強さの話



バリデーションとは、自分の気持ちや考えていることを肯定してくれる、理解してもらえるような感覚を指す言葉です。


その感覚は、自分が辛い経験をしている時に、気持ちに寄り添ってもらえたような温かさと心強さを感じることの出来る、とてもパワフルな癒しの力となります。


この言葉が、日本のセラピー現場ではどのように使われてるのだろうか調べてみたら、認知症ケアの介入の一つとして紹介されているようでした。事実、認知症ケアにおいて、とても効果的な介入方法ではあるものの、バリデーションは、日常の至る所、特に親子や夫婦・家族のコミュニケーションの場面でも、使うべき、もっと知られても良い概念だと感じています。


そこでこの記事では、バリデーションの大切さについてを実体験を交えながら紹介してみようと思います。



認知症ケアとバリデーションの関係

日本では認知症ケアの介入方法の一つとして知られているバリデーション。わたし自身、認知症ケアの施設で働いていた時に、このバリデーションの必要性を痛い形で学んだことがあります。

研修生としてアルツハイマーを中心とした認知症ケアの施設で働き始めたばかりのある日、大広間でボランティアの人が歌のパフォーマンスしていたのですが、鑑賞中にそわそわし始めた認知症患者さんがいました。

どうしたのか心配になって聞いたら、「子供が見当たらない…」と不安そうな顔をするのでした。

その患者さんは、成人した大人の子供はいるものの、その日は一人で施設に来ていました。

そこで、「あれ」と思いながら話を聞いていると、どうやら今この場所が、その患者さんにとっては日曜日の教会の集まりの場で、ついさっき自分の幼い我が子を見失ってしまった母親である、と思い込んでいる様子でした。そう言われれば、確かに教会の集会に見えなくもない…。

「子供が見つからない」とパニックになった患者さんを宥めるために、「ここは教会ではないですよ」「この建物に二階は無いですよ」「ここには一人でいらっしゃいましたよ」と言ってしまったのが悪かった。

これが、この患者さんの見ていたリアリティに余計な情報を与えて、更なる不安と混乱を招いてしまったのでした。


認知症の患者さんの見ている世界を正してはいけない。これは、認知症ケアにおいて、特に大切にされている介入の視点です。

わたしがその場でするべきことは、その患者さんの見ている世界を否定せずに、集会の中で「幼い我が子が見つからない」ことへの不安をどう解消できるかを一緒に模索することでした。


誰かに電話を掛けたふりをして子供は別の場所で預かってもらってるから大丈夫だよと説明したり、子供の話を聞いているうちに話のトピックを違う話題に逸らしたり(リダイレクト)、患者さんの妄想を否定せずに、その妄想に乗っかりながらも気持ちを落ち着けてあげる方法は工夫を凝らす必要はあるものの、考えようと思えば山ほどあるんですよね。

このバリデーションの力は、心理療法士として認知症ケアで学んだとても大きなことでした。

「気持ちを分かってもらえなかった」感覚に覚える苦痛はどこから来るのか

上記は認知症ケアにおいてのバリデーションの例でしたが、バリデーションは、何も認知症ケアにのみ使われることではありません。

例えば、自分が仕事で嫌なことがあって落ち込んで帰ってきた日に、家族に「そんなこと言ってないで気持ちを切り替えて」とか「終わったことを考えたって仕方がない」と言われるのと、「そっか…大変だったんだね」と一言でも言われるのでは、どんな違いがあるでしょうか?


これは、身体の症状や心の痛みに対しても、自分が置かれた状況に対しても、同じことが言えて、「あなたよりももっと苦しんでいる人もいる」と言われるのと、「そっか…今とても苦しい状況なんだね」と慰めを受けるのでは、気持ちは大きく変わってきます。

「あなたよりももっと苦しんでる人がいるんだから」といった過小化(minimization)や、「検査の結果が異常がないんだから」といった無効化(invalidation)は、人を大きく傷つけます。

相手からの一方的なジャッジメントを受けて、自分が感じている自分の様子と、周囲の受け止め方の中に分裂のようなとても大きな溝がある場合、自分を否定されているような、自分を受け止めてもらえなかったような「空っぽ」のような虚無感や、強烈な怒りや苦痛を本人に感じさせてしまうのです。


人の癒しはどこから来るのか

一人の個人が経験している「ある出来事」と「それに関連して体験した気持ち」を自身が一貫性を持って受け止めることが出来て初めて、癒しへの土台が作られていきます。

しかしそこには、話の受け取り手の心理も関わってきます。

人は、「痛い」「苦しい」「つらい」「悲しい」などの大きな告白を聞くと、とても居心地が悪くなり不安になります。


その不安を味わうことを避けるために、ついつい、問題解決を急いでしまう解決思考を発動させてしまうのです。その結果が、「あなたよりももっと苦しんでる人がいるんだから」といった過小化をしてしまったり、「検査の結果が異常がないんだから」と無効化してしまったり、情報をさっさと処理し居心地の悪さから抜け出せるように脳が逃げ道を探そうとするのです。


話の受け取り手がしてしまいがちなこの短絡的な解決策は、話した本人に対して、内容と体験への一貫性を壊してしまう、むしろ分裂した感覚を引き起こしてしまいます。つまり癒しの土台作りとは真逆なことが起きてしまうのです。


この、居心地の悪いなんとも言えない不安感、何もしてあげられない無力感とどう向き合えるか、それが目の前にいるつらい思いをしている人との対話では、とても必要不可欠な癒しの材料になってくると言えるでしょう。それが出来るようになるために、聞き手自身の気持ちの吐き出し場所も必要になってきます。


ちなみに、心理カウンセラーやケアギバーにもカウンセリングが推奨されるのには、このような理由があるからでもあります。


おわりに

わたしは思春期の頃に片頭痛や首・背中の激痛などの身体症状を発症し起き上がることが難しく学校に行けない時期がありました。原因がすぐに分からなかったこともあり、「仮病じゃないか」とか「学校に行きたくないだけじゃないか」と当時話題になり始めた不登校児の可能性を疑った親族や学校、医師ととても大きな諍いを経験しました。


「誰も信じてくれない」「誰も分かってくれない」このつらさ。それはとても大きな傷となってわたしの心に今でも残っています。


現在、当時の症状は完治したものの、疲れや体調が悪い時には真っ先に、首や背骨にこの予兆のような症状が現れます。そして、身体が覚えてるこの感覚が、過去のトラウマを一気に引き戻してくるんですよね。


そんな時、「どうしたの?」「大丈夫?」「つらいね…」とただ言ってくれる夫の存在があることが、わたしにはとても信じられないくらい大きな癒しとなって存在しています。


自分の話す経験をそのまま丸ごと信じてもらえる感覚って、こんなに偉大なのか…!という実感。涙が出るくらい感動し、心がとても温かくなるような感覚を覚えるのです。


毎度この症状が出るたびに経験する、夫とのやりとりから、わたしはその時の痛みを癒され、また、過去のトラウマからも癒されています。この記事を書いたのは実は、最近久々に体調を崩しこれを体感する出来事があったからでもありました。


皆さんも、ぜひ、目の前の大切な人の言葉を信じてみてください。そして、ただ、共感し、聞いてあげるだけでいい、そういう時間をどこかで作ってみてください。絶対に、何かが変わると思うから。


今回は、そんな癒しのパワーを持つバリデーションについて話してみました。


クロスカルチャーコンサルタント・BUNKAIWA

 

おすすめ書籍:

サラ・ヘンドリックス著


この記事では直接触れてはいませんが自閉スペクトラム症、特にアスペルガー症候群の女の子たちに焦点を当てた本。


自閉症は今まで「男の子がなるものだ」と言われていたくらい男女比に偏りがあり、その背景には、男子の行動や特徴を中心に考えられた診断基準や症状への理解がありました。アスペルガーの傾向を持つ女子たちは、男子とは違う特徴を持つことの説明に加え、生きづらさを抱えているにも関わらず、診断がされにくい、周囲から苦痛を理解してもらいにくい、というバリデーションが得られないことから来る苦痛も大きな問題であると指摘されています。バリデーションの威力を感じさせられずにはいられない本書、ぜひ興味のある方は手に取ってみてください。



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