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  • 執筆者の写真ヤス@BUNKAIWA

ストライキから学ぶ、自分の境界線・バウンダリーを守るために大切な心構え



2023年7月現在、ハリウッドで全米脚本家組合と俳優組合によるストライキが行われています。


遡って約15年前に起きた全米脚本家組合のストライキは、わたしにとって、自分の人生を変えるようなとても大きな出来事でした。そして、今、新たに起きているストライキのタイミングに合わせて、自分の過去に起きたことが思い起こされるような出来事が重なったのもあって、今回はこのことから思う個人的な回想と、そこから思う境界線・バウンダリー、そしてメンタルヘルスに大切な心構えについて話してみようと思います。


ちなみにハリウッドのストライキの理由を詳しく知りたい人はこちらをどうぞ。



わたしの人生を変えたこと

日本で大学3年目を迎えたわたしは、夏休みを利用してアメリカにホームステイをしました。


映画が好きだったのもあって、ロサンゼルスをステイ先に選び、たまたまですが、ホームステイ先はハリウッド関係者宅。

ある日、街に出掛けてみたら、大勢の人たちがワヤワヤ道路端でプラカードを手に大声で何かを叫んでいるのを目撃しました。彼らの声に合わせて車の中からバンバン、クラクションを鳴らすわたしのホストマザー。彼らは何者なのか、それは脚本家を中心に構成された全米脚本家組合のストライキであることを教えてもらったのでした。

当時、わたしは日本で小売店でアルバイトをしてお金を貯めていたのですが、バイト先で給与未払いの被害に遭っていました。最初はお店の経営悪化に伴い、情状酌量を催促するように従業員の給料支払いを先延ばしにするところから、徐々に、「次の月に働くのであれば前月(前々分)を支払う」というような脅しに近い押し付けに変わっていきました。

わたしはただの1バイト員だったのもあり10万円以下の金額が人質でしたが(にしても学生にとっては大金)、正社員やフリーターの方などにとってはとても大きな金額が保留にされ、支払われる保証がないまま働くか、稼いだ分を手放すかを強いられていた状態でした。

労働基準局も介入するものの、彼らが経営者に対する特に大きな執行権を持つわけでもなく(日本は従業員よりも経営者に優しい国…アメリカも州によりますが)、わたし達従業員の電話問い合わせに疲弊して担当者の若い女性職員は退職したと聞きました。その後の担当者は何も引き継ぎもないまま打つ手も無いと、結局泣き寝入りをするしかないという状況になりました。

この時、店舗に出勤するのをやめ一斉退職しようという案や、大々的な抗議や集団での訴訟案も出ましたが、驚くことに、多くの従業員が、「穏便に過ごしたい」「次の就職先に影響を出したくない」「騒ぎ立てると他人の目が怖いから」といった理由で、劣悪な労働環境で細々と働きながら、結局本当に泣き寝入り状態になっていきました。わたしはなかなか諦められなかったので、そんな状態で稼働している店舗の入店を許可する大手デパートにも責任があるのではないかとデパートの担当マネージャーに電話をしましたが、「何も出来ない」の一点張りで結局無力でした。やれることはやり尽くした感と圧倒的な無力さから、わたしは、未払いの給与を受け取ることを諦める形でバイト先を辞めました。

そんな状況が起きた後に行ったアメリカで目撃したこのストの様子。

ホストマザーは、「一生懸命働いている人たちが自分たちの権利を主張するのは当たり前。その権利を搾取されている状態を変えようと戦っているんだから、わたしはストを支持したい。」と言っていました。

この言葉、前述の事情から圧倒的な無力感を感じていた自分にすごく刺さったんですよね。そして、一見迷惑行為に見えていたストライキの様子が、わたしにはすごくキラキラして見えた。そして、それをサポート出来る土壌があるアメリカという国が、一瞬で好きになった自分がいました。ストレスで苦しんで、騒げば騒ぐほどアクションを取ろうとすればするほど周りから大げさだと言われ始めて結局諦めざるを得なかった自分が体験したこと、そんな中で心が折れた自分が、間違っていたわけではなかったんだ、とすごく受け止められた気がしました。

そこから、紆余曲折があって、わたしは今アメリカに定住しているのですが、当時の経験を今でも忘れたことはありません。そして、今でも、何かしらの搾取をされたと感じる出来事に遭遇した時に、当時の気持ちが強く蘇ってきます。

ただ、当時は無力だった自分ですが、人生経験を若干踏んだ今の自分だからこそ教えてあげられることがあるのも確か。そして、今現在、このブログを読んでいる方の中にもこれを必要としている方がいるかもしれないと思い、わたしの強く思う、当時の自分に伝えたいことを紹介してみたいと思います。



当時の自分に教えてあげたかったこと

1. 自分は権利を主張する権利を持っている。


自分の権利を主張することは決して悪いことではないし、むしろ積極的に主張して。


そしてそれを話すには、『権利 (right)』と、『エンタイトルメント (entitlement)』には明確な区別があることを知る必要があるでしょう。


権利とは、抑圧から自由を勝ち取るニュアンスを含む、自分が主張するべき人間として当然の権限のことを指します。例えば、仕事をした分の対価を確実に正確な額をもらうことや、搾取的な職場に対して労働環境の改善を要求することなど。エンタイトルメントは、元々は社会保障用語の側面があり、与えられるに値する資格を授与された、といった感覚が付随します。これを個人が無闇に乱用する場合、それは、対価に見合うことをしていないにも関わらず、自分にはその対価をもらうに当たる資格がある、という一方的なニュアンスで話を進めてしまう可能性も含んでいます。


上記2語の微妙なニュアンスの差を踏まえ、この記事で話す『権利』は、前者を指しています。



2. 自分の権利が侵害されたら、怒っても良いし、怒るべきだと思う。


それを「感情的だ」「輪を乱す」と笑う人は、相手にしないこと。


大切なのは、怒りに任せて誰かを傷つけるような衝動的な行動に出ないことにあり、怒りの感情が生まれることや、そこからの正当な抗議活動は冷ややかにみられたり、笑われるような行為では決してない。


怒りの感情は、わたしたちに大切な何かを教えてくれるサインにもなるのです。



3. ガスライティングに注意すること。


ガスライティングとは、『ガス燈』という映画から来た心理学造語であり、自分は間違ったことをしていないのに、まるで自分のせいで問題が起きているかのように心理操作される、心理虐待を受けている状態を指す言葉。


これは、従業員と経営者、上司と部下、加害者と被害者、といった立場に力関係のある関係性において見受けられることの多い現象です。


ジェンダー役割の強い日本のような社会・文化の場合、女性には「感情的だ」、男性には「暴力的だ」といったラベリングが強くある中での話し合いが多く含まれます。他人の間違えを指摘した時になぜか問題がいつの間にか自分のせいにすり替わっていたり、なぜか自分が責められる原因を作ったかのように扱われているような気がするときは、この現象を理解した上で、誰が本当の加害者・被害者なのか、本当は何が起きているのか、状況を客観的にみていくことがとても大切になってきます。


また、「他の人は同じ状況でも我慢しているんだから」「顧客に影響が出てしまうから」といった、あなたが〇〇することで第三者が苦しむことになる、といった罪悪感の押し付けも、加害者の常套句であること。これは特筆です。(実際のところ、そんな組織に間接的にでも課金したり関わり続けたりすることになる方が顧客にとっても不利益です。)



4. 自身の権利を侵害された時のダメージはとても大きい、だからこそ自分を労うことを忘れずに。


自身の当然の権利を搾取されたことに気づいた時というのは、境界線・バウンダリーに危害を加えられ侵害されたことと同じで、とてもショックで嫌な気分にさせられます。時には、なんとも言えない無力感や、苦しさ、悲しさ、絶望感、そして身体的な不調などにも現れることもあるでしょう。


だからこそ、そんな自分を大切に、時には問題から離れて自分を癒す活動を取り入れることも大切です。被害者だからといって、毎日被害者っぽくして生きる必要はありません。笑ってもいいし、遊んでもいいし、人間として当然の、好きなことをする権利、それを行使しましょう。



5. 自分の権利を主張するために戦っている人を馬鹿にしてはいけない。わたしはむしろ、自分の権利のために矢面に立って戦う人を尊敬したいし支持したい。


一見、迷惑行為に見えてしまうこともあるデモやストライキですが、それが人の毎日の生活に不便を与え、人の足を止め、人の耳に嫌でも入ってくるような行為となって現れているのには理由があるのです。


誰も迷惑行為を率先してやりたくてそんなことをやっているわけではありません。その行為に出ることによって、自分の今後の生活に支障が出てしまう可能性を賭けている人もいます。その覚悟を持って権力と戦っている人を馬鹿に出来る権利は誰が持っているだろうか。


冷笑して権利の搾取への戦いや誰かにとって必要な自己主張を抑え込ませることこそ、問題と真剣に向き合うことを放棄した愚か者のやることであるということを知っておくこと。




以上、わたしが強く思う信念を羅列してみました。ちょっと熱くなってしまったかな?



おわりに

今回の記事では、自身の経験してきたことも踏まえてストライキに思うことや社会に思うことを気持ちの思うまま書いてみました。

正直な話、ストライキがなかなか起きにくい日本社会は、権力に抑圧された社会であると言えると思います。それはすなわち、自身のバウンダリーが常に侵害されているにも関わらず我慢を選ばざる得ないような状況が多くの人に起きている可能性があるということを指摘することが出来るのかもしれません。


自身のメンタルヘルスを健康に保つための大切な心構え、今回は、ストライキの経験を回想しながら、バウンダリーの視点を交えながら社会のあり方を考察してみました。


皆さんは、この記事を読んでどんなことを思いましたか?


BUNKAIWA

 

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参考:



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